2005年10月23日日曜日

阪急の小林一三は、もともとは小説家だった!!



小説家をどう定義するかだが、新聞に連載小説を掲載すれば、もう立派な小説家だろう。阪急電鉄の創業者で商工大臣も務めた実業家小林一三は、若いとき小説を書いていたのだという。へ〜、だな。

今日読んでいた『山梨の文学』という本に出ていた。山梨日日新聞が、山梨県にゆかりのある143人の文学者をまとめたもの。その中に小林一三の個所もあった。要点:
  1. 小林一三は韮崎の生まれ。16歳で慶應義塾大学に入るも文学少年だった。
  2. 1890(明治23)年4月、18歳であった小林一三は山梨日日新聞に9回にわたる連載小説を掲載した。実際にあった外国人宣教師の殺人事件を背景にした恋愛小説。「錬絲痕」という題名。
  3. 小林は、宝塚歌劇の草創期には自らシナリオを執筆し、曲も付けている。
  4. 小林の文化的側面は、池田市の逸翁美術館、池田文庫で分かる。


山梨の文学
4897106028山梨日日新聞社

山梨日日新聞社 2001-03
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この本、ちょっと面白い。いろんな人がいろんなところで関係しているのだな〜と思った。