2005年5月29日日曜日

武田百合子『日日雑記』……昭和という時代はたしかに終わった



昼に四谷図書館に借りていた本を返しに行った。手ぶらで帰るのももったいないので、まだ読んでなかった武田百合子の『日日雑記』を借りてかえって読んだ。彼女の元気を貰おうと思って読んだのだが、逆に涙が出てきて止まらなかった。


4122027969日日雑記
武田 百合子
中央公論社 1997-02
by G-Tools

平成四年(1992年)刊行の本。その翌年武田百合子は肝硬変で死ぬ。享年67歳。全編にこの予感が漂っている。冒頭の書き出しからしてそうだ。
元旦。起きて外を見る。人の姿車の影なし。また眠る。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。(中略)陽が傾いてこないうちに、近くの氏神様へ初詣に出かけた。(家内安全商売繁盛、目がよくなりますように。そしてバチがあたりませんように)と柏手をうつ。

死んだ夫の武田泰淳と一緒に飼っていた猫が死ぬ。親族の葬式が続く。富士北嶺で近所に住んでいた大岡昇平も死ぬ。石屋の外川(トガワ)さんも死ぬ。相撲見物に連れて行ってくれた色川武大も死ぬ。彼女も、自分に確実に迫っている死期を予感している。それをこともなげに表現していく武田百合子一流の観察眼と筆力は、みごとだ。

武田百合子は、昭和の時代を象徴した人間であったように思う。戦争中は軍国少女でミミズでも平気に掴み、たくましく戦後の混乱を生き抜いたアプレゲールでもあり、高度成長期の狂乱の世界のエネルギーを自ら具現し、バブル崩壊と共に(少し時間をおいて)、その人生を終えた。武田百合子の死と共に昭和は確実に終わったのである。

借りたのは「武田百合子全作品 7」であるが、巻末に年表が付いていた。知らなかったが、彼女は大きな地主の娘として生まれたのである。しかし不在地主であったため、戦後の農地解放で没落し、彼女は自活のために神保町の喫茶店で働くようになる。そこでうちに武田泰淳と出会い同棲・結婚するのだ。『富士日記』には、農民に対する正直で辛辣な記述がよく出てくるが、これで理解できた。彼女は「奪われたもの」の立場で、富士北嶺の農民達を見ていたのである。

戦後の農地解放は、「耕すものの手に農地を」という精神で、不在地主の土地をただ同然の価格で多くの小作人に再配分した。そのことは、それでよかったと思う。しかし、いま平成の世、日本の多くの耕地は耕作されず放棄されている。そのくせ農地法は「外部」の人間(株式会社など)が農地を所有することを禁じ、農民の権利を守っている。外部の人間は農地を借りること(すなわち小作人になること)しかできないのだ。このままでは不在地主が増えるだけである。

平成の世、いまこそ「耕すものにこそ農地を」という終戦直後の農地解放の精神が求められているのではないだろうか。農業を目的とする株式会社の農地購入を認めるべきである。

Posted: Sun - May 29, 2005 at 06:38 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next   Comments