2006年12月21日木曜日

山中湖うどん「天めん」はおすすめだな



今日はじめて行った。湖畔のそば屋はいずれも今風の観光客目当てのお店なので,今までうどんは富士吉田まで行って食っていた。でも花の都公園入り口当たりに何やら気になる矢印看板があり,細い曲がりくねった道を辿って行くと,会社の保養所のような建物のうどん屋があった。天めん。なかなかよかった。

畳の部屋に座って食べるという吉田うどん屋風のお店。でもキャベツなどはないし,肉も馬肉ではなく豚肉。麺も吉田うどんとは違う(グルテンのより多い小麦粉を使っているみたい)。薬味は吉田風(練り唐辛子)だが,全体の仕上がりは吉田うどんとは一線を画す「山中湖うどん」となっている。セルフサービス。「注文書」にオーダーを記入しカウンターに提出。後片付けもセフル。このへんは讃岐風?か。かけうどん350円と「正しい」値段設定。満足した。

冬の山中湖(おまけに週日)はどこでもガラガラなのが相場だが,ここはほとんど満席だった。地元関係の客ばかりと見た。

このうどん,独自性があってなかなか佳。山中湖名物になるんじゃないかな。定年退職された老夫婦お二人でやっている。

Posted: Thu - December 21, 2006 at 03:03 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (3)

2006年11月24日金曜日

富士五湖地方を知るキーワード「入会権」



この本は参考になる:
北富士演習場と天野重知の夢—入会権をめぐる忍草の闘い
北富士演習場と天野重知の夢—入会権をめぐる忍草の闘い斑目 俊一郎

彩流社 2005-12
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一人の活動家の生涯を通じて「入会権」とは何かがよくわかる。富士山北麓開発の歴史等、事実関係が豊富。参考資料、年表等も整理されている。

勝手に面白いと思った(主題とは関係のない)事実など:
  1. 山梨県郡内地区(富士五湖、大月、上野原など)は昔からコメがとれない地方として山梨県では一段低く見られ甲府盆地の支配者にいじめられて来た。武田信玄も郡内の兵隊は一番危険なところに行かした。郡内からは東京都の方が地理的に近い。天野重和は郡内は山梨県から離脱して東京都に編入されるべきとの意見を持っていたが、そういう考えの人は彼一人ではなかったらしい。
  2. 東京電力が山中湖、忍野村の水利権を持つようになったいきさつ。住民は「山」は山梨県に「水」は東京電力に取り上げられた。
  3. 北富士演習地の入会権の象徴が春の「火入れ」。この主導権争いで長いこと忍野村と山中湖村と富士吉田市が喧嘩していた。
  4. 鳴沢地区も元々は演習地だったが「平和利用」が決まりゴルフ場とか別荘地とかになった(富士桜高原等、安倍総理の別荘もあそこ)。富士急と富士観光が開発を争ったが、「トランク」を持ち込んだ富士観光が勝った。
  5. 天野重和は現地で戦後の農地解放の旗ふりを行った人。でも彼の入会権をめぐる闘争(「全面返還、平和利用」)を矜持をもって最後まで支持したのは、農地解放で農地を取り上げられ天野を恨んでいるはずの元大地主たち。農地解放の受益者の元小作人は(お金に目がくらみ)どんどん戦線を離脱した。
  6. 東富士五湖道路建設は、忍野村住民と入会地(演習地)を切り離す「万里の長城」としての意味もあった。

などなど。事実は小説より面白い。

石原都知事も、勇ましいことを言うなら、道州制に便乗して山梨県の郡内を東京都に編入し、自衛隊と東京都による北富士演習場の「平和的共同利用」を提案するぐらいのでっかいことをやればどうかな。歴史に名を残すよ。

Posted: Fri - November 24, 2006 at 10:52 AM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments

2006年11月15日水曜日

「(日本人は富士山を自慢するが)我々が拵えたもんじゃない」(夏目漱石、広田先生)



昨晩、学校の愛国教育とやらで 生徒に富士山の写真を見せて美しい日本を愛しましょうとやっていたのには呆れてものが言えなかった。ここで書いたが言い足らないので漱石先生にご登場願う。

漱石と富士山と言えば、やはり 『三四郎』。漱石は広田先生の口を借りて、「現代日本」の背伸びとナショナリズムを批判する。引用:
すると髭の男は、
「御互は憐れだなあ」といい出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、 庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、ーーあなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるからご覧なさい。あれが日 本一の名物だ。あれより他に自慢するものが何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない」 といってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃないような気がする。

そう、広田先生(髭の男)が言うように、かりに愛国教育をするとしても 「我々が拵えたもの」をもって愛国心を養うべきだろう。でも、文部科学省はそれを思いつかなかったので「富士山」となった。あほらしい。

富士山と学校教育の関係には長い歴史がある。時代時代で学校教科書に記載 される富士山のニュアンスが変化するのである。これ↓
へぇ〜、 富士山は「日本一」ではなかった時があったのだ!: "7. 第四期国定教科書(1933年昭和8年)の指導書によれば「日本一の名山富士を賛美させ(略)国民が景仰礼讃する感情に共鳴させる」ことが大切と書かれ る。"

現代日本は、昭和8年の時代に戻りつつあるのか!

追記)夏目漱石は、日本人の肉体的貧弱さに付いて書いているが、これに付 いては昨今非常に改善された。学校給食のおかげだとされているが、どうもコドモの体格が良くなったのは、70年代後半からだと思う(学校給食は戦後すぐ始 まったが団塊の世代の体格はそれほど良くない)。散人はマクドナルドの日本進出と大いに関係があると思っている。「食育」と やらでファーストフードを目の敵にしているようでは、日本人はまたもとの「伝統的体格」に戻ってしまうのではないか。

2006年11月5日日曜日

鹿児島県薩摩川内市ではトンボを守るためにブラックバスを1300匹殺したらしい



今朝の日経「ネイチャーウォッチ」。ベッコウトンボという珍しいトンボをブラックバスが食べてしまうというのでこの7月薩摩川内市では外来魚の来放流(リリース)を禁止する条例を施行。9月までの3ヶ月の間に回収箱でブラックバスを1300匹を集めた(殺した)。おかげでベッコウトンボとやらは大いに増えた自然は守られたとエコロ記者は喜々として報道している。胸が悪くなった。

夏からバス釣りを始めたバッサーの端くれの一人として、ブラックバスにはとても親近感を持っている。バス釣りとは漁獲持ち帰りを目的とした釣りではない。バスと遊ぶための釣りだ。猫じゃらしでネコをなんとか誘って「釣って」喜ぶという感覚だ。釣れば勝負は釣り人の勝ち。またおいでと一緒に遊んでくれたバスはリリースする。無益の殺生はしない。

これはとても自然な感覚だと思う。散人は一応仏教徒(真宗)の家庭で育ったから、やむを得ない場合を除いては動植物の命は大切にする。これは日本人の古来からの感覚でもある。滅びかけている動植物があれば、もちろん安全なところに移したりなんかして保護してあげるのはとてもけっこうなことだ。でもそのために殺生をする気にはとてもなれない。いじめられているコドモを守ることは大切だが、いじめっ子を殺していいということではない。

でもブラックバスを目の敵にして撲滅(駆除)に躍起になっている人たちには、こういう感覚は通用しない。自分たちは絶対的に正しいことをしているのだと狂信的に信じきっているから。彼らの信念はゼノフォビア感覚に補強されて、更にエコロと組むことで外国農産物を排除しようと言う農村ご都合主義も加わり、今や地方自治体ベースでの「確信」と化して制度化され、いかなる理性的な議論にも聞く耳を持たないのだ。

不適切な喩えであることは承知しながら言う。ナチのユダヤ人収容所でユダヤ人を大量虐殺した収容所職員たちも同じように「自分たちは絶対正しいことをしている」との確信のもとにガス室のオペレーションをしたのだろうな、と感じる。


追記:仏教の教えに付いてその原典を探したら、次のような説話があった。山形県のお寺のご住職の講話だが、お釈迦様や昭和天皇のお言葉を引いて、なかなか味わい深い。似非エコロたち、これ読め!
住職挨拶: "お釈迦様は、12月8日、明けの明星が光ったときにお悟りを開かれ、 「心あるものも無いものも、同時に道を成就している。草も木も大地もことごとく皆仏となっている。(有情非情同時成仏、草木国土悉皆成仏)」と説かれた。"

この「草木国土悉皆成仏」の心で持って、日本は古来から外来動植物を受け入れてきた。それが日本の豊かで多様性のある自然環境を作った。コメも桃も梅も、鯉(現代コイ)もニジマスもキンギョも、馬もネコも、日本のほとんどの動植物は外来のものだ。ブラックバスも今や完全に日本の自然の一部だ。多くの若者にとってブラックバスこそが「自然環境」ですらある。あなたたちはそれを破壊している。

現代日本には、この種の「思い込み」に基づく過激な「集団の熱情」がとても多いように思われる。

関連記事:

秋月岩魚『警告!ブラックバス汚染』……怖い、バスではなくこういう人が ... 

清水國明『釣戦記、ブラックバス琵琶湖リリース禁止裁判』……何だか ... 

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Posted: Sun - November 5, 2006 at 01:54 PM   Letter from Yochomachi   Science   Previous   Next  Comments (18)

2006年8月20日日曜日

ヤマガラ君の写真



ようやくカメラが手元に届いたのでヤマガラ君の写真を撮る。



設定を間違えたので真っ黒に写っていたが、iPhoto で補正。かわいらしいでしょう。こいつは人なつっこくて、平気で寄ってくるので写真に撮りやすい。

Posted: Sun - August 20, 2006 at 04:34 PM   Letter from Yochomachi   野鳥観察   Previous   Next  Comments

2006年8月19日土曜日

「永遠に、幸せになりたかったら……」(中国古諺)



開高健の『オーパ!』からの孫引き。永遠に幸せになりたかったら、どうしたらいいのでしょうか?

曰く:
一時間、幸せになりたかったらら
酒を飲みなさい。

三日間、幸せになりたかったら
結婚しなさい。

八日間、幸せになりたかったら
豚を殺して食べなさい。

永遠に、幸せになりたかったら
釣りを覚えなさい。

「三日間」のやつが特に面白い。最近の若い人はどんどん晩婚になっている そうだが、彼ら分かっているのだ!

釣具店から電話。スピニング・ロッドの修理が終わった由。永遠に幸せにな るため、また始めるか。

2006年8月17日木曜日

秋月岩魚『警告!ブラックバス汚染』……怖い、バスではなくこういう人が怖い!



著者は、ずっと前から日本の「ブラックバスの完全撲滅」と「全国一律のバス釣り禁止」を主張している人物。これが多くの市民団体の支持を集めてバスを駆除する動きが全国に広がり、いまやバスが安心して住める場所は日本で芦ノ湖、河口湖、西湖、山中湖の4個所となってしまった。それでも著者はまったく不十分だとして「完全撲滅(全面駆除)」を執拗に主張する。イスラエルの生存権を認めないヒズボラみたいな人だ。

この本:
警告!ますます広がるブラックバス汚染
警告!ますます広がるブラックバス汚染秋月 岩魚 半沢 裕子

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stars気分が悪くなる
stars釣人でなくても気分が悪くなると思う。
stars駆除派のオピニオン本
starsバス問題の最新動向を理解するための決定的書

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散人は、最近山中湖で釣りを始めたばかりで、たまたまいる魚がバスだったというだけのバス釣り人。ブラックバス問題については十分に知っていると言うつもりはないし、バス釣りについてそれほどの思い入れもない。でもこの本を読んで、その内容以上に、著者の狂信的とさえ言える「自分は絶対に正しい」スタイルに辟易した。著者は、彼がバス容認派と見なす人物については、政治家、学者、釣り業界関係者、漁協関係者、政治家、マスコミ人、作家の開高健、漫画家矢口高雄、さらには一般人のバス釣り愛好家など、一人一人実名を上げて、執拗に攻撃する。中には人格攻撃と見なさざるをえないようなものまである。ナチの「民族浄化」運動すら思い浮かべてしまった。彼の熱狂的支持者も多いようだ。日本はいつからこんな国になったのだろうか。

散人としては、この本の中で否定的に引用されている吉田幸二氏の次の文章によほど共感した(小学校の先生の言葉の引用):
「みんなには『自分の大切なもの』がありますか?(中略)ぼくにとって、大切なものは、趣味である『釣り』です。
今、好きな釣りは『ブラックバス』という魚を釣ることです。実は、日本に昔からいた魚を食べてしまう!!といわれていて、一部の人たちから嫌われている魚でもあるのです(社会の授業で話したね!)よく、『悪い魚なんでしょ?』とか『釣ったら退治した方がいいよ!』とか言われます。そんな時には、『地球上に悪い魚なんていないよ! 人間にとって都合の悪い魚はいるけどね……』と答えることにしています。

ブラックバスもアメリカでは美味しい魚として食べられている。日本でももっと食べるようにすると、みんな親近感が湧いてくるんじゃないかな〜。ニジマスも鯉も全部外来魚だそうだ。でも食べる習慣があるから許して貰っている。西湖にはブラックバスを食べさせるレストランがあるそうだ。今度探していってみよう。

追記:山中湖ではブラックバスとワカサギが共存関係にある。ワカサギはブラックバスの餌だが、さすがのブラックバスも食べきれないほどたくさんいるので、いっこうに減らないとのこと(ハーバーマスターの言)。

Posted: Thu - August 17, 2006 at 06:20 PM   Letter from Yochomachi   TV, Cinema & Books      Comments (5)

2006年8月12日土曜日

"Study to be quiet(穏やかになるために学べ)"……これはアイザック・ウォルトンの言葉じゃなかった!



なんかマニアックな話題。世界 の釣り人のバイブルとして300年以上愛読され続けているアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』の結びの言葉として日本の釣り人達の間で広く引用されてい る言葉。最初に引用したのは開高健か。でもこれはウォルトンの言葉ではない! 今日の大発見。

最近釣り関係の本を読むことが 多いが、この「Study to be quiet」がやたらにいろんな釣り関係の本に引用されている。ウォルトンの『釣魚大全』の結びの言葉だというのだが、手持ちの森秀人訳『完訳釣魚大全』にはこの「有名な」結びの言葉は入っていな い。開高健がウォルトンの言葉として引用したのが始まりのようだが、どうもおかしい。で、いろいろ調べてみた。これはウォルトンの言葉ではない。新約聖書 「テサロニケ人への手紙」に出てくる言葉なのである。

証拠:http://bible.cc/1_thessalonians/4-11.htm 

これはウォルトンの原文には入ってなかった言葉のよう だ。出版社が最後のページの飾りとして挿入した聖書の引用らしい。欧米人にとっては聖書の言葉であることが自明であるので、ウォルトンの言葉としては考え られていない。だからネットでこの言葉を検索しても釣りに関係して出てくるのは日本語のページばかり。

最近バス釣りを始めたので釣り関係の本を読むことが多 い。でも、気になるのはこういう釣り「有識者」に共通する攘夷思想(端的に言えばブラックバス排斥思想)。そのくせイギリスのウォルトンはやたらに引用し ている。でも、その引用は間違いなのでした。もっと勉強しようね。

2006年8月11日金曜日

青柳純『ブラックバスがいじめられるホントの理由—環境学的視点から外来魚問題解決の糸口を探る』……これ良書



大学生の卒業論文が本になって注目を集めている。著者は滋賀県立大学環境科学部環境計画学科環境社会計画専攻の大学生だったが、その時琵琶湖のブラックバスリリース禁止裁判問題を仔細に研究。その卒業論文をベースにこの本が出来ている。内容は幅広く公平で且つ深みがある。この問題についてはヒステリックな議論がまかり通っているが、環境の専門家でも現実的な人もいると言うこと。後生畏るべし。


ブラックバスがいじめられるホントの理由—環境学的視点から外来魚問題解決の糸口を探る
ブラックバスがいじめられるホントの理由—環境学的視点から外来魚問題解決の糸口を探る青柳 純


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「生物多様性」、「漁業組合」、「釣り人」の三者の利害対立がうまく分析されている。現在多くの府県で「生物多様性」と「漁業組合」の連合が「釣り人」と対立するという構図になっているが、河口湖、野尻湖(また山中湖)などでは「漁業組合」と「釣り人」の連合が成立しているし、基本的にこの構図の方が自然であるとの見方。「生物多様性」の定義が曖昧だが、多様性は危機に瀕している種を特定の湖沼で保護すればいいと示唆。とても現実的な分析である。

Posted: Fri - August 11, 2006 at 05:44 PM   Letter from Yochomachi   TV, Cinema & Books       Comments

2006年8月6日日曜日

山中湖:ビキニが交通渋滞を招く?



今日は日曜日。さすがに人出が多かった。湖周道路のクルマの流れはとてもゆっくり。交通渋滞とまでは行かないが、みんな馬鹿みたいにゆっくり走っている。何故か? ビキニが多すぎるのだ。

多かったですね〜。ビーチばかりじゃなく、湖周の138号線沿いの歩道なんかまで、そう言う若い人達であふれている。みんなそれに注目してスピードを落とすので自然にのろのろ運転となる。パトカーまでがそう。

ビキニは、交通渋滞につながるのか、それともみんな速度を落とすので交通安全につながるのか、はたまた不注意運転につながるのか? それは交通安全協会の研究課題だな。

2006年8月2日水曜日

清水國明『釣戦記、ブラックバス琵琶湖リリース禁止裁判』……何だかユウツになる読後感



山中湖情報創造館で借りた本。バス釣りの本かと思ったら、ブラックバス虐め集団ヒステリーに果然として立ち上がった一人のドンキホーテーのお話し。しょせん多勢に無勢、勝ち目はない。でもこういう人がどんどん出てこないとニッポンの将来は危うい。

この本:
Amazon.co.jp: 釣戦記—ブラックバス琵琶湖リリース禁止裁判: 本: 清水 国明: "「琵琶湖で釣ったバスはリリースしてはならない」魚を水に戻す自由を釣り人から奪う滋賀県の条例に異を唱え、行政訴訟を起こした著者が、第1回公判までの軌跡をつづる渾身のドキュメント。その過程で明らかになってくる、さまざまな事実。琵琶湖を本当に破壊し、食い物にしてきたのは誰だったのか。 "

日本のほとんどの動植物は外来種だ。家畜もそうだし、皆が楽しんでいる植物もそうだ。当然お魚の多くも外来種。人間だってそうだ。ブラックバスも外来魚だが、いまや日本の自然の一部となっている(ニジマスやアユや鯉と同じ)。セイタカアワダチソウもそうだ。アメリカザリガニも。ウマも西洋犬もそうだ。ところがブラックバスについては日本攘夷思想の憎むべき対象となってしまった。

こういう科学的な議論は別にして、ブラックバスを殺したくないと感じる人達にリリースを禁止して殺すことを強制する滋賀県の条例は、普通に考えて明らかにおかしいと思う。ところが清水国明がこれを言ったとたん、彼のHPは数万件の罵詈雑言書き込みで閉鎖に追い込まれたという。明らかに集団ヒステリーが日本を支配している。

NHKの朝ドラ「純情きらり」は近年にない良い朝ドラである。芝居としてもすぐれているし、演技が本格的。主人公もとてもいい。何よりもいいのは、日本にもああいう時代(一億総火の玉、反対するのは非国民という時代)があったということを見せてくれること。

「ブラックバスは悪者、全部殺してしまえ」というPTAおばさんが大好きな環境「主義者」の主張も、これ似ている。「異文化であるブラックバスを排斥することはいいことなのだと」いう主張が、利権団体とその御用環境学者の連携プレイのおかげで、ニッポンの「隣組」思想として確立してしまっているのである。

このようなアホな議論を続けざるをえないことで、日本国は壮大なエネルギーの無駄遣いをしているのだ。これじゃ国際競争に負けるわ。

Posted: Wed - August 2, 2006 at 08:09 PM   Letter from Yochomachi   TV, Cinema & Books       Comments (4)

2006年7月28日金曜日

沢村幸弘『サワムラ式バス釣り大全』……初心者はスプリットショットでボトムを引け!



東京に帰っても頭は釣りのことばかりで落ち着かない。糸井重里が推薦していた本(サワムラ式バス釣り大全)を買った。決め撃ち式で書かれた指導書で、これはよさそう。

著者の沢村幸弘氏は、バス釣りのプロで、何度も「アングラー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた人。沢村氏は、何年やってもバスは釣れないという話を聞くがそれは「間違った方法で釣ろうとしているからであり、バスは初めての人でも釣り方さえ知っていればいとも簡単に釣れる魚である」と断言。初心者から中級者へと段階ごとに分けて釣り方の指導を具体的にされる。これは公文式みたいだ。この方法で練習しよう!

最初は初心者に対するアドバイス。とても参考になりました。第一章の要旨をメモ:
  1. 道具はスピニング・リール。ロッドと合わせて3万円ぐらいのものを買うこと。
  2. ラインはフロロカーボンライン。3ポンドのもの。
  3. ルアーは4インチのグラブ。フックサイズは1番。セットはあくまでも正確に。
  4. フックから20センチのところにスプリットショットを付ける。重さは数種類用意し、どれにするかは自分でボトムを引きずって判断する。
  5. キャスティングはオーバーヘッド。ルアーがライナーで飛んでゆくようになるまで練習すること。
  6. 着水後必ずボトムまでルアーを沈める。ルアーが着底したら、横向きにロッドを引く。蟻の這う如くゆっくりルアーを引き寄せる。リールで巻き取って、またロッドで横に引く。ボトムをロッドでずるずる引く感じがつかめるまで練習を繰り返す。
  7. アタリかなと思ったらロッドを止める。岩や石だったらそれ以上動かないが、魚であれば反応がある。その場合、最初のストロークの位置までラインを張らずゆるめず巻いて、そこからストロークの大きなアワセをする。
  8. ルアーが着水してからボトムまで落ちる前に食いつくバスもいるので、キャストしたあとのラインの動きは常に見ておくこと。これは次の段階の技術につながる。
  9. 釣れないときは場所を移動する。
  10. 釣りに出かけたら絶対にノーフィッシュ(ボウズ)することはないという自信がつくまではこの方法で釣ること。釣らないと永遠に始まらない。必ず釣れると自信がついたら次のステップに進む。

普通の参考書は、あまりにも盛りだくさんで多くのことを両論併記で解説していて、読者はどうしたらいいのかわからなくなってしまうのが多いが、この本にはそういう「迷い」はない。こういう本が好きだな。釣りの参考書ばかりじゃないよ。

Posted: Fri - July 28, 2006 at 10:18 AM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next   Comments (1)

2006年7月26日水曜日

山中湖:バスを釣ったぞ!〔散人の初体験〕


昨日買った道具でいよいよバス釣りに挑戦。悪戦苦闘の数時間。でもなんとかバスが一尾釣れた。20センチもあったぞ。


場所は山中湖ヨットハーバーの桟橋。あのあたりはわりかし良い釣り場らしく、桟橋の先20メートルぐらいに釣りボートが二三隻がいつも場所取りをしている。桟橋からは同じ条件。やるぞとルアーを投げる。でも、なにぶん技術が未熟。。やたらにラインが絡むし、ルアーを投げてもあらぬ方向に飛んでしまう。飛ぶのはまだましで、足下とか後ろ側に飛んだりなんかする。今日の時間のほとんどは、ハリの付け替えとか、ラインの絡みほどきとか、リールへの新たなラインのまき付けとかでつぶれた。でも、釣れたのです!


記念写真:





結構でかかったですよ。小さく見えるのは、横に立っている散人が巨漢だから。

実は、このバス、「釣った」と言うよりは「釣れた」という魚。ラインを絡ましてしまって修復作業をしている間、ワームとハリは出しっぱなしにしていた。それにバスが勝手に食いついたのだ。桟橋の下にバスが棲みついているらしい。何もルアーを遠くに投げる必要などなかったのだ。手釣りで上げた。

「釣れた釣れた!」と大喜び。ハーバーマスターに見せに行ったが、ハリを付けたままバスを持ち運んではいけない、死んでしまうと注意された。ハリはすぐ外しバスの下顎を持つのだそうだ。大急ぎで写真を撮って貰ってからリリース。ものすごい勢いで逃げていった。釣らせてくれてありがとう、バス君。

本日の費消品:
  1. 釣り糸、約80メートル。絡ましては切り、絡ましては切り、ついに80メートル分捨てた。その度にフックに糸を結びつけたので、ユニノットはかなり習熟した。
  2. ハード・ルアー(ワカサギ型)一個。これは本当にワカサギみたいに動く。投げて引くと、それめがけてバスが攻撃をかけるのが水上から見えるぐらい。これは良いなと思っていたら、たまたま出来たナイスキャスティングだと思ったとたん、どっかに飛んでいってしまった。ルアーの結び方が甘かったようなのだ。ちゃんと四回結んだんだけどなー。惜しい。
  3. フック、ワーム。十個ぐらい。
  4. ロッドの一番先を踏んづけて折ってしまった。ま〜、ちょっと短いロッドだと思えばどうってことはない(はず)。保険付きの棹だし気にしない。

合計すると、かなりの散財。釣り具インダストリーは、儲かるわけじゃ。散人はあいつらへの「貢ぎ君」になる予感がする。まあ、いいか。

Posted: Tue - July 25, 2006 at 06:47 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (5)

2006年7月24日月曜日

山中湖:バス釣り一念発起


バス釣り道具をそろえたぞ! 散人は、断固「バス釣り道」に専念する、と今日ここで宣言。



散人は、自慢じゃないが生まれてかたこの方、釣りはやったことはない。指導者に恵まれなかったこともある。アメリカでは父親の役目とは息子に釣りと狩猟を教えることだと書いてあるのを読んだこともあるが、日本では事情が違う。散人の父親はとても釣りなどやる余裕がない一生懸命生活を送ってきた人なのだ。だから散人は小さいときに誰も釣りを教えてくれなかったので釣りというゲームを知らずに人生を送ってきた。それを不満だとは一切思わなかった。幸田露伴なんかの文章に江戸趣味人の釣り三昧生活の記述があるが、正直「あんたらサムライは、え〜身分だったな〜」と嫌悪感すら感じたものだ。ところがこの歳になって、考えを変えた。

考えを変えさせられたのは、この本である:

誤釣生活—バス釣りは、おもつらい (単行本) 
糸井 重里 


なんでこんな本を読んだのかというと、先の週末に釣りキチガイのある人が来るかも知れないというので釣りの本を読んだもの。いわば不純な動機による読書。でも、これがメッポウ面白かったのである。「釣り」というものに対する散人の長年の偏見を払拭したのであった。

糸井重里は言う「釣りを知ればボウズ(釣れないこと)はない!」と。バス釣りは「自然との調和を楽しむもの」というような軟弱な東洋哲学的な時間つぶしではなく、まさに「アメリカ資本主義そのもの」であり、「努力すれば、それだけの結果があるスポーツ」なのであると。定石をいかにたくさん研究し練習するかが勝負だという。「バスは世界で一番その生態が研究され尽くしている魚である」とも。う〜ん、散人の受験勉強型ガリ勉本能が、俄然として目覚めてきたのである。勉強・プラクティスをすれば、その分だけの結果が出せる! なんたるうれしい魅惑的な言葉であるか!

で、けさ山中湖ヨットハーバーのオーナーに、バズ釣りをしてみたいといってみた。ヨットハーバーの桟橋で釣っていいという(メンバーからは桟橋使用料はとらないだって)。釣り道具屋(センターフィールド)も紹介してくれた。行ってみると妙齢の店主の奥様がひとり。亭主は留守なので、釣り具選定の指導は出来ないが亭主が帰るまで私のロッドで遊んでいてくださいと上等(らしい)ロッドとルアーを貸してくれた。ルアーの飛ばしかたの指導をしてくれたが、なかなか難しい。夕方まで練習したが、ついにまともに飛ばなかった。糸が絡まるだけ。

夕刻、ハーバーマスターが釣具屋に送ってくれたが、彼は釣具屋の主人に曰く「一番安いので良いよ」と。俺が桟橋で悪戦苦闘しているのを見て気の毒に思ってのことだと、勝手に邪推する。そうなると意地になって、帰ってきた若い釣り道具屋主人と奥様に見栄を張ってそれなりの道具をそろえる。エライ大散財。

大散財をした以上、後には退けない。明日から「バス釣り道」を極めると、固い決意。

俺が釣り竿を担いで道を歩いているのを見た山中湖不動産(株)の家族(お父さんと奥さんと娘さん)と立ち話。バス・ルアーは沖から岸に向かって投げるのがいいと。ヨットを出して、沖でアンカリングしてバスを攻めるのがいいのか。バス道はなかなか奥が深いらしい。やるぞ!

さらに道を歩いていると「橋本さんじゃないですか?」とかっこいい若い人が声をかけてくれた。レイクサイドキャビンのオーナーだという。昔の散人の紹介文を読んだお客さんがやって來たという。

山中湖にいると、いろいろ若い人とコンタクトが増えて、老人はただうれしい。今日は散人の「バス釣り一念発起記念日」。


Posted: Mon - July 24, 2006 at 08:51 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (2)

2006年7月21日金曜日

ダッチオーブンで鶏粥を作ったら、うまかった!



山中湖気温20℃。今日も寒い。暖かいものを食べたくなって鶏粥を作った。超簡単。

材料:
冷凍若鶏(ロックヘン) 一羽
コメ          150cc
ショウガ        少々
塩           少々
ごま油         少々

作り方:
10インチのダッチオーブンに解凍したロックヘン(500グラム)を丸ごと入れる。水を入れる(8割程度、3.5リットル程度か)。コメを入れる。吹きこぼさないように超弱火で二三時間。ショウガのみじん切りと塩とごま油で味付けをする。おわり。

食べるとき、好みでネギ、ミョウガのみじん切りなどの薬味を加えてもいい。鶏は柔らかくなっているのでスプーンで十分ほぐれる。鶏の解凍は電子レンジで20分。その間に鍋の水を湧かしておけば合計時間が節約できる。この粥は二日酔いの時にいい。昼に三分の一程度食べたが、あと二回分の食事もこれで問題なし。冷凍ロックヘンは米国製。ニッシンで500円程度。

ダッチオーブンは、男のひとり暮らしに重宝する。ちなみにシエラカップでこの粥を食すると家にいながらキャンプをしている気分になる。コメの計量はシエラカップでやった(2/3カップで150cc。一杯だと300cc。上が広がっているのでややこしい)。

Posted: Fri - July 21, 2006 at 02:03 PM 

2006年7月17日月曜日

日本焚火学会による『焚き火大全』




今日ちょっと寒かったので読みたくなった本。日本焚火学会というのがあるらしい。その面々がまとめた「焚き火の全て」:
Amazon.co.jp: 焚き火大全: 本: 吉長 成恭,中川 重年,関根 秀樹: "焚き火の技術、燃材・道具、伝承文化、用途などを紹介。火と人間の歴史、焚き火の種類と分類、材料と道具、技術と法則、焚き火のクッキング、環境教育、文芸と絵画などについて論じ、焚き火の魅力、醍醐味に迫る。 "
う〜ん、焚き火とは奥が深い技術なのだ。散人は修行が足らぬ。

薪ストーブがいいと盛んに勧めている。散人も薪の燃えるのを見るのが好きだ。メキシコにいたときはよく暖炉を焚いた(あそこは昼間はいいが夜が寒い)。火を見つめていると、不思議に心が落ち着き、神秘的な気分になってくる。でも、やっぱり効率が悪い。

今使っているいるストーブは石油の煙突ストーブ(トヨトミ)。これでも冬期は家が暖まるまで48時間かかる(その間水道が凍るので止水弁を開けられない)。管理会社はもっと強力なストーブにして欲しいと言うが、一旦暖まると快適だし、煙突ストーブは換気効果が抜群にいいのでそのままにしている。薪ストーブにしたらどれだけ時間が掛かるかわからないし、管理会社にかける手間暇を考えれば諦めざるを得ない。せめて焚き火で遊ぶ。

石油・薪どちらも使える煙突ストーブがあったらいいな〜。

Posted: Mon - July 17, 2006 at 07:13 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next   Comments (3)

2006年7月14日金曜日

『考証 三浦環』(田辺久之)


今日読んだ本。山中湖と深いゆかりがあるという世界的オペラ歌手三浦環の考証:

Amazon.co.jp: 考証 三浦環: 本: 田辺 久之: "新しい女性像“蝶々夫人”のプリマドンナ三浦環画期的な書誌年譜を付して論考した必読の書。"

三浦環のお墓は山中湖平野の寿徳院にある。山中湖では三浦環と地元民の交流が感動的に語られることが多い。どんな人か興味があって、この本を借りてきた。緻密な本格的考証である。

メモを二三:
  1. 三浦環の最初の夫で、瀬戸内晴海が小説にもした軍医の藤井善一。環との離婚は明治42年3月だが、その年の12月、藤井は山県有朋の姪に当たる勝津登喜(20歳)と再婚、牛込区大久保余丁町32番地に新居を構えたとのこと。折しも永井荷風がアメリカ・フランスから帰って余丁町79番地の実家から慶應義塾に教鞭をとるために通い出した頃である。軍人嫌いの荷風のことだから、同じ町に住んでいても口をきくことはなかっただろうが、マスコミをにぎわした藤井・環の離婚事件は聞き知っていただろう。下世話な話が好きな荷風のこと。何か書いているかも知れない。断腸亭日乗の人名索引が手元にないが、あとで調べてみよう。
  2. 三浦環が母親登波とともに山中湖平野に疎開したのは、昭和19年3月。この年の厳しい寒さのために翌年4月には母が他界(享年88)。近所の寿徳院に葬る。この年は20年ぶりの寒さだったとのことで、満足な暖房設備が備わっているはずもない「民宿」ではとても冬が越せなかったのである。環は母のあとを追うように昭和21年5月26日、東大病院で死去。本人の遺言により母親と一緒に葬られることになった。寿徳院の墓は投書「三浦環の墓」と墨書された一本の墓標であった。墓碑が作られたのは昭和37年のこと。山中湖村教育委員会により記念碑が作られたのは昭和63年のこと。
  3. 遺産は養子となったマネージャーに。でもほとんど残って居らず「郵便貯金が26円しかなかった」という話も。環が最後に住んだ旭日丘の三井家の別荘は(彼女の死後)再三にわたり立ち退き要求が出されている。
  4. 旭日丘の別荘に保管されていた三浦環の舞台衣裳は100枚以上あったが、管理が杜撰で、地元の中学校の仮装行列に使われたりなんかした。

世界のプレマドンナ三浦環も、戦争のおかげで翻弄された。地元民との交流の様子は、何も書かれていない。コメも採れない寒冷地での生活は過酷であっただろう。88歳の母親をつれて、零下20度近くにもなる山中湖の普通の民宿で冬を越そうというのは、あまりに無謀であった。武田百合子の『富士日記』をみても、昭和40年代になっても原始的な暖房設備しかなかったことがわかる。まして戦時中だ。

戦後驚異的な進歩を遂げたものはいろいろあろうが、民間住宅の暖房性能はその中でも随一の変化ではないか。昔はよかったのではなく、昔はひどかった。

Posted: Fri - July 14, 2006 at 03:36 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments

2006年7月5日水曜日

『徐福ロマン—弥生時代のフロンティア』(羽田 武栄)……山中湖が弥生文化の元祖?


今日図書館(山中湖情報創造館)で借りた本、ケッサク。日本各地に始皇帝の命を受け不老長寿の薬を求めて日本に來て集団定住したという徐福の伝説が残っている。富士北麓にも「昔中国から徐福という人がたくさんの人を連れて富士北麓に來た。彼らは秦氏を名乗ったが、後世、羽田と改名してこの里に住んできた」という言い伝えがある。著者で博覧強記の羽田武栄氏はれっきとした富士北麓に多数残る羽田姓の一人。日中の膨大な文献を調べ、ロマンあふれる新説を発表。


この本:
徐福ロマン—弥生時代のフロンティア
徐福ロマン—弥生時代のフロンティア羽田 武栄

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とにかく膨大な文献を駆使して、古今東西の諸学説を紹介されているので、どこまでが引用で、どこが氏のオリジナルなのか、浅学の散人にはわかりかねたが、こういう当たりだろうか(かなり意訳):
  1. 1923年、山中湖西岸の長池村に住む故羽田正次氏は畑を耕作中に地下60センチのところから金色に光る印象を見つけた(写真あり)。
  2. これを複数の中国の専門家に鑑定して貰ったところ、1700〜1800年前のものと鑑定された。つまり紀元3世紀の初頭には山中湖に大陸からの渡来人が居たことになる。
  3. 紀元三世紀といえば、漢末魏初の動乱期。黄巾の乱のあった頃。この印象の文字は黄巾族の将軍を表すらしい。魏の曹操に討たれた黄巾族の敗残兵が日本に逃げてきて山中湖に定住したのだ。
  4. 徐福より時代が下がるが、きっとその前に富士山麓に住みついていた徐福?一族を頼って逃げてきたものであろう。西日本は魏と同盟関係にあった邪馬台国が支配していたからはるばる東にやってきたのだ。
  5. 徐福が本当にいたかどうかははっきりしない。むしろ徐福というのは伝説で、始皇帝時代の秦人が多数バラバラと日本に渡ってきていた可能性が強い。彼らこそが日本に弥生文化をもたらした人達だ。
  6. ではなぜこれら秦人達は徐福の子孫だと名乗るようになったのか。これは始皇帝が悪者である(焚書坑儒)との唐時代の思想が日本に流れ込んだため、悪者の名前を名乗ることを恥じて祖先は徐福だと偽ったためだ。

う〜ん、そうだったのか。山中湖村の長池地区とは、今まさに散人が居るところ。そんな由緒あるところに住めてとても光栄。

山中湖こそ日本の弥生文化の原点なのだ。それにしては山中湖では寒すぎてコメが育たない。まあその後、気候変動があったのだろう。

ちなみに羽田武栄氏は小型船舶一級操縦士でもあられる。航海術の知識を駆使して、当時の中国の航海術の水準から推定できる日本への渡航ルートの検証もやられている。これも本格的で面白い。

Posted: Wed - July 5, 2006 at 05:49 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous  Next   Comments

2006年7月3日月曜日

富士山:滝沢林道はなかなか快適!



富士山麓には無数の林道があるが、多くの林道は一般人は乗り入れできない。その中で滝沢林道は誰でも入れて、おまけに4合目まで登れる。

139号線の富士浅間神社の横から吉田口登山道に入る。まっすぐ富士山頂上を目指して直進。数キロ登ると中の茶屋という茶店。そこを左に曲がる。ここが滝沢林道の起点。ここから4合目まで12キロ。標高が上がるにつれてどんどん植生が変化していくのがわかり、植物のお勉強にもなる。

すれ違いも十分可能な舗装道路。ところどころに駐車スペースもあり、地元の人はそこで車を駐めて横道に入って山菜採りなどをしている様子。ただし富士山麓の原生林のほとんどは地元集落の入会地なので、権利を持っている人しか山菜を採ることが出来ない。また立て看板によると、森のなかはマムシがいっぱい居てクマも出るとのこと。自衛隊の演習地にもなっているので、砲弾を見つけても絶対に触らないこととの注意書きも。くわばらくわばら。

4合目、標高2100メートルでゲイトがあり、一般人はそれ以上のぼれない。地元の関係者はゲイトの鍵を持っており、通行可能。地図によると滝沢林道は新5合目(スバルラインの終点)までつながっている。舗装林道で新5合目まであがれるなら誰もスバルラインの通行料を払わないから、これはスバルラインへの営業協力だろう。

ともあれ軟弱なカブリオレでも行ける林道コースであるが、富士山あり崖あり眺望あり、おまけに熊もマムシも(いるらしいし)、林道の面白みは充分楽しめた。途中ですれ違ったクルマは三台。お奨め。