2006年11月24日金曜日

富士五湖地方を知るキーワード「入会権」



この本は参考になる:
北富士演習場と天野重知の夢—入会権をめぐる忍草の闘い
北富士演習場と天野重知の夢—入会権をめぐる忍草の闘い斑目 俊一郎

彩流社 2005-12
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一人の活動家の生涯を通じて「入会権」とは何かがよくわかる。富士山北麓開発の歴史等、事実関係が豊富。参考資料、年表等も整理されている。

勝手に面白いと思った(主題とは関係のない)事実など:
  1. 山梨県郡内地区(富士五湖、大月、上野原など)は昔からコメがとれない地方として山梨県では一段低く見られ甲府盆地の支配者にいじめられて来た。武田信玄も郡内の兵隊は一番危険なところに行かした。郡内からは東京都の方が地理的に近い。天野重和は郡内は山梨県から離脱して東京都に編入されるべきとの意見を持っていたが、そういう考えの人は彼一人ではなかったらしい。
  2. 東京電力が山中湖、忍野村の水利権を持つようになったいきさつ。住民は「山」は山梨県に「水」は東京電力に取り上げられた。
  3. 北富士演習地の入会権の象徴が春の「火入れ」。この主導権争いで長いこと忍野村と山中湖村と富士吉田市が喧嘩していた。
  4. 鳴沢地区も元々は演習地だったが「平和利用」が決まりゴルフ場とか別荘地とかになった(富士桜高原等、安倍総理の別荘もあそこ)。富士急と富士観光が開発を争ったが、「トランク」を持ち込んだ富士観光が勝った。
  5. 天野重和は現地で戦後の農地解放の旗ふりを行った人。でも彼の入会権をめぐる闘争(「全面返還、平和利用」)を矜持をもって最後まで支持したのは、農地解放で農地を取り上げられ天野を恨んでいるはずの元大地主たち。農地解放の受益者の元小作人は(お金に目がくらみ)どんどん戦線を離脱した。
  6. 東富士五湖道路建設は、忍野村住民と入会地(演習地)を切り離す「万里の長城」としての意味もあった。

などなど。事実は小説より面白い。

石原都知事も、勇ましいことを言うなら、道州制に便乗して山梨県の郡内を東京都に編入し、自衛隊と東京都による北富士演習場の「平和的共同利用」を提案するぐらいのでっかいことをやればどうかな。歴史に名を残すよ。

Posted: Fri - November 24, 2006 at 10:52 AM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments

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