2005年9月2日金曜日

山中湖をディンギーで周遊するのは面白い!


今日は1〜2メートルの微風。怖いことはないので端っこの平野まで、おいらのディンギー「青ベカ」号で行ってきた。湖のだいたいのオリエンテーション。


山中湖とはクジラの形をした湖。周囲13.5キロ。海抜982メートル。水深16.4メートル。Google Map の航空写真は↓

http://maps.google.com/maps?q=日本山梨県南都留郡山中湖村&ll=35.417785,138.877772&spn=0.031828,0.058382&t=k&hl=ja 

マリーナ(山中湖ヨットハーバー)はちょうどクジラの「口」当たりにある。この地区は「山中」地区と呼ばれ、村役場などがある山中湖村の中心地。地区人口は3509人(平成13年)と山中湖村では一番人口が多い地区。レストランなども多い。ちなみにここに住んでいる人には「高村」姓が多い。村長も高村さん。ついで「羽田」「槌屋」など。みんな親戚同士みたいなもんだ。江戸時代は関所が置かれていた。

風は午前中南東。平野(クジラの尻尾部分)に向けてクローズホールド一本の上り。クジラのお腹の部分に沿って走る。お腹の部分は「旭日丘」と呼ばれる地区。明治までは誰も住まない入会地だったが、大正時代から別荘地として開発された。「旭日丘」という名前は、別荘地宣伝のために誘致された当時の有名人徳富蘇峰が名付けたもの(それまでは「向切詰」と呼ばれていた)。人口612人。今でも一区画が割合広くとられており会社や大学の寮が多い。多くは借地権(入会地の伝統?)。山中湖を代表する別荘地だが、なだらかな北面斜面に広がっており、富士山は余りよく見えない。また湖も意外と見えないところが多い。岸は林になっており、山中湖村ヨットハーバー(教育委員会の管理で中学生、高校生専用のハーバー。国体ヨット競技もここで行われた)、東大のヨット部艇庫、遊覧船発着場などが続く。水上から直接はいることも可能な桟橋付きレストラン(ビストロ ZEAL)などもある。

一時間足らずで一番東側に位置する平野地区に到着。平野地区は山中湖にはめずらしく平地が多い場所。唯一このあたりでしか農業は出来なかったので、昔は「嫁を貰うなら平野から」と言われたそうだ。今は田圃をテニスコートに変えてテニスが盛んなところ。中学生や高校生の合宿でにぎわうので、ちょっとがさがさした雰囲気もある。人口1374人。ここに住む人は「天野」姓が多い。

北側が長池地区。湖に山が迫っており、平野部はほとんどない。人口も406人と山中湖村で一番少ない。姓は「天野」「羽田」がほとんど。ちなみに「羽田」とは元は「秦」で昔々始皇帝が不老不死の薬を求めて日本に派遣した中国人の子孫だという。これは眉唾だが、日本に養蚕技術をもたらした秦氏の子孫ではあるらしい。長池の湖岸からは富士山と山中湖が両方見えて(逆さ富士も見える)、山中湖では一番眺望がいい地区。ただレストランとかは少ない。旭日丘の人は長池地区を山中湖の「田舎」という。自分たちが富士山を見られないので拗ねているのかも知れない。山の上の方に向かって大型の別荘地が開発されているが、あまり上の方は冬期に車で上ることはほぼ不可能。また山間部は複雑な地形をしているため、大型開発別荘地で富士山の眺望を望める場所は意外に少ない。逆さ富士の展望所「ママの森」はこの地区の湖岸にある。

帰ろうとした矢先、クジラの尻尾の中で風がぴたりと止まる。琵琶湖並の超微風。微風の中では何としても前に艇を進めることが重要。さもないと永遠に風がないところに取り残されるから。カミさんには感じられないような風をうまく利用してなんとか風があるところまで脱出。風向きは南風に変わっている。行きと同じような時間でマリーナに帰り着いた。なかなか楽しかった。

今日山中湖でヨットをやっていた人は、散人ペアの他は髭の高年夫婦二組だけ(最初遠くにシーホッパーがみえたがどんな人かはわからなかった)。暇があるのは隠居世代だけなのか、ヨットにも、スキー同様、高年化が進んでいるのか、わからない。日本は海の国だから、みんなもっと海上(湖上)スポーツをやるようになればいいと思うのだが、漁業権の問題でマリーナ建設はなかなか進まない。

Posted: Fri - September 2, 2005 at 06:05 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments