2005年12月17日土曜日

『こんな暮らしがしたかったー木村東吉ファミリーの湖畔の四季』



これも図書館で借りた本。40代のファッションモデル家族が奥河口湖に移住した。朝日新聞での連載記事の単行本化:
こんな暮らしがしたかった—木村東吉ファミリーの湖畔の四季
463533032X木村 東吉

山と溪谷社 2001-03
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面白いところが二三。

参考になったこと:
  1. 河口湖というと、河口湖大橋の付近のホテル旅館街を思い出してしまうけれど、西側の奥の方はけっこう静かなのだそうだ。でも山にじゃまされて富士山は見えないとのこと。
  2. 河口湖でカヌーをやると地元の人に白眼視されるそうだ。当たり前だな、代金を払う釣りと違って地元のお金を落とさないもの。
  3. 冬期の水抜き。夜間の水抜き弁の開閉を2年やったけれど、結局電熱線で水道管を保温することにしたとのこと。定住しているんだったら、正解。
  4. 看板とか電線が醜いとか景観状況に散々文句を言っている。頷ける。
  5. 野外料理ではバーベキューはやらないそうだ。焼き加減をウォッチするのがたいへんでリラックスできない、野外料理は「時間が勝手に作ってくれる」煮込み料理に限るとのこと。ボルシチ、ポトフなど。これ言えてると思う。
  6. 子供の学校。最初行かせた学校は全校で120人しかおらず、生徒間の人間関係がたいへんで結局生徒数が多い遠い学校に転校(いずれにせよバス通学なので10分余分に通学時間がかかるだけとのこと)。でも同じ村には、もう一つ小学校があり、ここは全生徒数は30人。120人の学校には温水プールが完備されていたとのこと。いかにも無駄だと言っておられるが、小生も驚いた。三位一体改革では義務教育問題が先送りされそうだが、国のお金だからこれだけの無駄が出来るのではないか。地方自治体が自分のお金だという感覚で学校を運営すると、こんな無駄は放置するわけはない。義務教育は地方にまかせるべきだ。

以上感想。河口湖も住めば結構いいところらしいけれど、釣り人ばかりでヨットハーバーがないのが難点。ウォータースポーツだったら、山中湖の方がいい。

参考(地域差別系):山中湖村と河口湖町はどうしてあんなに雰囲気が違うのか?

Posted: Sat - December 17, 2005 at 08:55 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (1)  

2005年12月16日金曜日

『週末・八ヶ岳いなか暮らし』……人それぞれなんだが、別のやり方もある




山中湖情報創造館で借りた本:
週末・八ヶ岳いなか暮らし
4794962088小宮 宗治

晶文社 1995-05
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おすすめ平均 star
starこれから山荘をつくろうとする人にお勧め

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結構おもしろかった。建設的なコメントを付け加えると……。

定年退職したエンジニアが八ヶ岳で山荘暮らしをはじめる。土地購入から建築にかかる費用、地元の物価水準、気候状況、さらに家計簿の公開まで、さすがはエンジニアだけのことはあり具体的な数字がいっぱい。田舎暮らしのノウハウが詰まっている。でも、おすすめのやり方とは別のやり方の方が……と思う個所もあった。以下順不同に:
  1. 場所を八ヶ岳とほとんど最初から決め込んでスタートされている。八ヶ岳もいいんだけれど、遠いんだよな〜。だから著者は年間40万円も交通費(高速代、ガソリン代)に費消されている。山中湖だったらその半分もかからないだろう。一生で考えると相当の違いとなる。夏も過ごしやすい。甲斐駒ヶ岳の眺めが最高とのことだが、富士山の方がいい。
  2. 山荘を地元業者を頼み新築されたのでべらぼうなお金が掛かっている。セカンドハウスに普請道楽をはじめると、きりがないし不経済でリスキー。バブル崩壊後のいまなら前オーナーが「普請道楽」に凝りまくったいい中古物件が安く買える。すぐ使えるし、不具合は長年かけて直しているので、むしろ信頼性が高い。
  3. 薪ストーブ。確かに感じがいいのだが、一束800円もする薪を一晩に三つも費消するのは、如何なものか。機能優先で煙突付きの石油ストーブにするべし。暖房は家を暖かくするためのもの。原点に返れ。
  4. 管理会社を使わず、OMソーラーシステムと水道管のテープヒーターを冬の間は山荘を使わないときも点けっぱなしにしている。電気代が無駄だ(テープヒーターはそれほど電気代がかからないと書かれているが、小生が聞いた話と少し違う)。無駄な電気代で管理契約が可能。それととても重要なことだが、都会もんが田舎に住む場合、地元との接点の確保はイッセンシャル。地元の管理会社はとても頼りになる。
  5. 南側の窓を最大限に生かして太陽エネルギーを活用せよとのことは大賛成。驚くほど南側大窓の暖房能力は高い。冬でも昼間は石油ヒーターが自動的に停止するぐらいだ。
  6. ロフトが暖房時暑くなってしまう件。著者はロフト部分にカーテンを付けておられるが、天井にゆっくり回る大きな扇風機を付ける方が効果的だと思う。
  7. 田舎のスーパーは東京より2−3割高いというお話し。同感。みんな自分ところで食糧を生産するからスーパーなんかで買う必要はないのだ。著者は東京から食料品を大量に持参されているが、小生はもっと簡単なことを実践している。凝ったものは食べないのだ。シンプル・イズ・ザ・ベスト。


でもこの本なかなか楽しめた。田舎暮らしにご興味のある方には、おすすめ。

Posted: Fri - December 16, 2005 at 07:23 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (4)  

2005年12月15日木曜日

山中湖:寒冷地でのくらし方……水道が凍るのです




いろいろ仕入れた知識。忘れるとたいへんなことになるので備忘録。

東京に帰るとき:
  1. 水道の止水バブルを閉める。
  2. 家中の水道の蛇口を外す。水道管のなかが乾くまで3時間放置。
  3. トイレのタンクに不凍液を入れる。
  4. 水道管が乾くと水道管の電熱ヒーターの電源を切る(つけっぱなしにすると電気代が月7万円ぐらいかかる)。
  5. 暖房をとめる。おわり。



東京から来るとき:
  1. 暖房を最大パワーで入れる。
  2. 水道管の電熱ヒーターの電源を入れる。
  3. 最低5時間待つ。
  4. 外してある家中の水道の蛇口を取り付ける。
  5. 止水弁を開ける。水が出ることを確認する。おわり。


このややこしい作業は事前に電話しておけば管理事務所でやってくれるが、きょうは5時間待ってから水を出したのだがそれでもいくつかの蛇口は凍ってしまったそうだ。人が常時住んでいないと家屋は徹底的に冷える。

地元の人は夜間水道を流しっぱなしにしておくが(地中の温度は外気より高いから凍らない)、これは真似しないこと。人が常時住んでいない家では排水管が凍ることがあり、そうなると家中水浸しになる。

道路状況。山中湖の湖周道路は乾いているが、湖畔から山に登る道は凍結している。スタッドレス必須。

Posted: Thu - December 15, 2005 at 05:37 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (9)  

2005年11月9日水曜日

人気観光地は騒がしくって正直疲れる。やっぱり山中湖が良い



今日、天気が良かったので、山中湖から箱根まで遠出(約一時間)。週日なのに、人の多さに驚いた。

山中湖から箱根までは、篭坂峠、御殿場を通ってごく簡単に行ける。箱根は日本で「7番目のえらいリゾート」に認定されているだけあって、さすがにたいへんな人出。観光バスが連なってやって来ている。138号線から1号線に入ると(宮の下)もう交通が混み合ってくる。週末でもないのに、どうしたことだろう。中高年夫婦が多いようだが、若い人達もけっこう多い。水曜日がお休みの会社が多いのだろうか。それとも今注目されているニートか。とにかく、日本は確実に余暇社会に変化しつつある。

芦ノ湖はとてもきれいな湖。でもあれは見るだけのもので、セーリングとか、釣りなんかして楽しんではいけないようだ。まるで盆栽日本庭園みたい。行列してみんな「海賊船」なんかに乗り込む。仙石原湿原でも行列して人が歩いている。温泉ホテルとゴルフ場が連立して、交通量が多いので、歩く人はちょっと危ない。

どこに行ってもたいへんな人なので圧倒され、ほうほうの体で逃げ帰った。山中湖は静かなので、帰ってきて心底ほっとする。

箱根は日本の観光業の典型である。いまだにレクリエーション志向の日帰り観光客と一泊のグループ旅行客を顧客として設定するビジネスモデルのように見える。後はお金持ちだが時間がない人達のための超高級老舗旅館。富士五湖で言えば河口湖スタイルだろう。でも、観光需要は、確実に時間をかけて心の静けさを求める「滞在型観光需要」にシフトしつつある。新しいリゾート地はそのようなコンセプトで作られつつある。箱根のような昔からのブランド・リゾート地がどう変身していくのか、興味深い。


参考:山中湖村と河口湖町はどうしてあんなに雰囲気が違うのか? 


2005年10月23日日曜日

阪急の小林一三は、もともとは小説家だった!!



小説家をどう定義するかだが、新聞に連載小説を掲載すれば、もう立派な小説家だろう。阪急電鉄の創業者で商工大臣も務めた実業家小林一三は、若いとき小説を書いていたのだという。へ〜、だな。

今日読んでいた『山梨の文学』という本に出ていた。山梨日日新聞が、山梨県にゆかりのある143人の文学者をまとめたもの。その中に小林一三の個所もあった。要点:
  1. 小林一三は韮崎の生まれ。16歳で慶應義塾大学に入るも文学少年だった。
  2. 1890(明治23)年4月、18歳であった小林一三は山梨日日新聞に9回にわたる連載小説を掲載した。実際にあった外国人宣教師の殺人事件を背景にした恋愛小説。「錬絲痕」という題名。
  3. 小林は、宝塚歌劇の草創期には自らシナリオを執筆し、曲も付けている。
  4. 小林の文化的側面は、池田市の逸翁美術館、池田文庫で分かる。


山梨の文学
4897106028山梨日日新聞社

山梨日日新聞社 2001-03
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この本、ちょっと面白い。いろんな人がいろんなところで関係しているのだな〜と思った。

2005年9月2日金曜日

山中湖をディンギーで周遊するのは面白い!


今日は1〜2メートルの微風。怖いことはないので端っこの平野まで、おいらのディンギー「青ベカ」号で行ってきた。湖のだいたいのオリエンテーション。


山中湖とはクジラの形をした湖。周囲13.5キロ。海抜982メートル。水深16.4メートル。Google Map の航空写真は↓

http://maps.google.com/maps?q=日本山梨県南都留郡山中湖村&ll=35.417785,138.877772&spn=0.031828,0.058382&t=k&hl=ja 

マリーナ(山中湖ヨットハーバー)はちょうどクジラの「口」当たりにある。この地区は「山中」地区と呼ばれ、村役場などがある山中湖村の中心地。地区人口は3509人(平成13年)と山中湖村では一番人口が多い地区。レストランなども多い。ちなみにここに住んでいる人には「高村」姓が多い。村長も高村さん。ついで「羽田」「槌屋」など。みんな親戚同士みたいなもんだ。江戸時代は関所が置かれていた。

風は午前中南東。平野(クジラの尻尾部分)に向けてクローズホールド一本の上り。クジラのお腹の部分に沿って走る。お腹の部分は「旭日丘」と呼ばれる地区。明治までは誰も住まない入会地だったが、大正時代から別荘地として開発された。「旭日丘」という名前は、別荘地宣伝のために誘致された当時の有名人徳富蘇峰が名付けたもの(それまでは「向切詰」と呼ばれていた)。人口612人。今でも一区画が割合広くとられており会社や大学の寮が多い。多くは借地権(入会地の伝統?)。山中湖を代表する別荘地だが、なだらかな北面斜面に広がっており、富士山は余りよく見えない。また湖も意外と見えないところが多い。岸は林になっており、山中湖村ヨットハーバー(教育委員会の管理で中学生、高校生専用のハーバー。国体ヨット競技もここで行われた)、東大のヨット部艇庫、遊覧船発着場などが続く。水上から直接はいることも可能な桟橋付きレストラン(ビストロ ZEAL)などもある。

一時間足らずで一番東側に位置する平野地区に到着。平野地区は山中湖にはめずらしく平地が多い場所。唯一このあたりでしか農業は出来なかったので、昔は「嫁を貰うなら平野から」と言われたそうだ。今は田圃をテニスコートに変えてテニスが盛んなところ。中学生や高校生の合宿でにぎわうので、ちょっとがさがさした雰囲気もある。人口1374人。ここに住む人は「天野」姓が多い。

北側が長池地区。湖に山が迫っており、平野部はほとんどない。人口も406人と山中湖村で一番少ない。姓は「天野」「羽田」がほとんど。ちなみに「羽田」とは元は「秦」で昔々始皇帝が不老不死の薬を求めて日本に派遣した中国人の子孫だという。これは眉唾だが、日本に養蚕技術をもたらした秦氏の子孫ではあるらしい。長池の湖岸からは富士山と山中湖が両方見えて(逆さ富士も見える)、山中湖では一番眺望がいい地区。ただレストランとかは少ない。旭日丘の人は長池地区を山中湖の「田舎」という。自分たちが富士山を見られないので拗ねているのかも知れない。山の上の方に向かって大型の別荘地が開発されているが、あまり上の方は冬期に車で上ることはほぼ不可能。また山間部は複雑な地形をしているため、大型開発別荘地で富士山の眺望を望める場所は意外に少ない。逆さ富士の展望所「ママの森」はこの地区の湖岸にある。

帰ろうとした矢先、クジラの尻尾の中で風がぴたりと止まる。琵琶湖並の超微風。微風の中では何としても前に艇を進めることが重要。さもないと永遠に風がないところに取り残されるから。カミさんには感じられないような風をうまく利用してなんとか風があるところまで脱出。風向きは南風に変わっている。行きと同じような時間でマリーナに帰り着いた。なかなか楽しかった。

今日山中湖でヨットをやっていた人は、散人ペアの他は髭の高年夫婦二組だけ(最初遠くにシーホッパーがみえたがどんな人かはわからなかった)。暇があるのは隠居世代だけなのか、ヨットにも、スキー同様、高年化が進んでいるのか、わからない。日本は海の国だから、みんなもっと海上(湖上)スポーツをやるようになればいいと思うのだが、漁業権の問題でマリーナ建設はなかなか進まない。

Posted: Fri - September 2, 2005 at 06:05 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments  

2005年8月28日日曜日

山中湖「青べか物語」:ディンギー〔シカーラ〕を買う


山本周五郎に『青べか物語』という印象的な随筆がある。主人公の「先生」が千葉県の浦安に住みつく。そこで使われている「ベカ船」という生活用の小舟を買うというお話し。青いペンキで誤魔化しているがかなりのボロ船で、先生にそれを売りつけたい地元の漁師は、いかに立派な船かを身振り手振りで力説するのであるが、力余って手をかけた舳先がぽっきと折れてしまう。漁師は構うことなく、ペッと唾を吐いて折れた舳先をくっつけて話を続けるというくだりが大爆笑だった。散人も、このたび山中湖で、青べかならぬ、青い小舟「シカーラ」を買った。相当古いが、とてもチャーミングである。



売ってくれたのは、山本周五郎の随筆とは大違いのとても正直な人。あまりのボロ船だから売りたくないというのを無理やり売ってもらったのだ。ボロ船だから申し訳ないと言って、ニューセール(ぴかぴかの新品)、アンカー、ライフジャケット、パドル、おまけにペットボトルで作ったとても使いやすいべーラーまで、全部付けてくれた。うれしい。

シカーラとはヤマハの13フィートのスループ艇。幅がばっちり広いので安定感がある。昔のY15みたいな感じ。コックピットも13フィートとは思えないぐらい広い。ブルーウォーター派のディンギーだからレースにはあまり使われない。オープンレースなどでは、FJ,シーラーク、シーホッパーなどと比べ、8ポイントのハンディを貰うほどだ(つまり遅い船だ)。山中湖では高校生がFJ、シーホッパーで練習しているが、計測上ではシカーラは彼らの相手ではない。

しかし、散人は元より「青べか」として買ったもので、高校生相手に追いかけっこをしようなぞという馬鹿なことを考えてのことではない。計測の数字などは気にしない。沈しないのが一番なのである。

今朝軽風下で初乗り。なかなかいい。フットベルトやカニンガムなどの調整をやっていると、風上にFJが数隻出てきた。地元の高校生たちだ。ばっちりまじめに二人乗りでクローズホールドで帆走している。そう言うのを見ると、つい散人の本能が呼び起こされてしまう。やっぱり追いかけっこをやってしまった。

あまり露骨なのはいやなので、はるか風下後方から目立たないようにのんびり付いていった。ところがである。30分もしないうちに散人のシカーラが前に出てしまったのだ。タックで風のふれを利用してのことではない、まっすぐに走っていただけでのことだ。FJはアプセットしたのか、転覆してしまう始末。多分一年生だったのだろう。

女子高生がレース仕様のシーホッパーで勇ましく帆走していたが、彼女にも走り勝ち。

結論。シカーラは、シングルハンドで乗る限りはなかなか走る。今日は一人で乗っていたため軽かったのだ。もっと吹いておればとても勝てなかったはずだが、幅が広いために相当のブローの中でも一人でもじゅうぶん乗れるのである。忘れ去られたようなディンギーであるが、まだまだ捨てたものではない、ということをいいたかった。

でも、シカーラを買ったのは、女子高生と追いかけっこをするためではない。『青べか物語』の主人公同様、付近の入江とか砂浜を散策するため。レストランにも裏手に桟橋があって水上からのお客歓迎と言うところもある。いよいよ山中湖「青べか物語」生活の始まりである。楽しめそう。

Posted: Sun - August 28, 2005 at 05:26 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (2)  

2005年6月7日火曜日

山中湖に野鳥たちの秘密の共同浴場がある!



以前、本で読んだが(ここ)山中湖にマニアの間で全国的に有名なバードウォッチングスポットがあるとのこと。役場で聞いても環境保護の観点から公表できないとかで、なかなか分からなかったが、きょう遂にその場所を突き止めた!

散人も役場に習って「自然環境のためにその場所は教えられない」のであるが、旭丘地区のどこかと言うことだけは教えてあげる。静かな別荘地の道に他府県ナンバーの車がぞろぞろ停まっておれば、それがその場所。今日行ってみると、その道のプロらしき人達が10人以上、超望遠レンズの砲列を並べている。

最初だし遠慮してきょうは双眼鏡だけ持って行った。30分間ほど居たが、コルリクロツグミ(雄と雌)、シジュウカラ、ヤマガラなどが次々にやってきていっしょに水浴びをしていた。小さな泉から水が滝になっていて流れ出しており、崖に沿って水場がいくつも並んでいるのだ。「オーホラ〔大洞)の泉」と呼ばれている(もちろん地図とか道案内図には書いてないけど)。

みんな忍耐強く朝から粘っているようだ。アクさんが言っていたように鳥の写真を撮るには、一にも二にも忍耐、ということのようである。それから装備がすごい。圧倒されて早々に退散。

場所をどうしても知りたい人は、メール頂ければ教えてあげてもいいです。

Posted: Tue - June 7, 2005 at 03:48 PM   Letter from Yochomachi   山中湖       Comments (2)  

2005年5月29日日曜日

武田百合子『日日雑記』……昭和という時代はたしかに終わった



昼に四谷図書館に借りていた本を返しに行った。手ぶらで帰るのももったいないので、まだ読んでなかった武田百合子の『日日雑記』を借りてかえって読んだ。彼女の元気を貰おうと思って読んだのだが、逆に涙が出てきて止まらなかった。


4122027969日日雑記
武田 百合子
中央公論社 1997-02
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平成四年(1992年)刊行の本。その翌年武田百合子は肝硬変で死ぬ。享年67歳。全編にこの予感が漂っている。冒頭の書き出しからしてそうだ。
元旦。起きて外を見る。人の姿車の影なし。また眠る。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。(中略)陽が傾いてこないうちに、近くの氏神様へ初詣に出かけた。(家内安全商売繁盛、目がよくなりますように。そしてバチがあたりませんように)と柏手をうつ。

死んだ夫の武田泰淳と一緒に飼っていた猫が死ぬ。親族の葬式が続く。富士北嶺で近所に住んでいた大岡昇平も死ぬ。石屋の外川(トガワ)さんも死ぬ。相撲見物に連れて行ってくれた色川武大も死ぬ。彼女も、自分に確実に迫っている死期を予感している。それをこともなげに表現していく武田百合子一流の観察眼と筆力は、みごとだ。

武田百合子は、昭和の時代を象徴した人間であったように思う。戦争中は軍国少女でミミズでも平気に掴み、たくましく戦後の混乱を生き抜いたアプレゲールでもあり、高度成長期の狂乱の世界のエネルギーを自ら具現し、バブル崩壊と共に(少し時間をおいて)、その人生を終えた。武田百合子の死と共に昭和は確実に終わったのである。

借りたのは「武田百合子全作品 7」であるが、巻末に年表が付いていた。知らなかったが、彼女は大きな地主の娘として生まれたのである。しかし不在地主であったため、戦後の農地解放で没落し、彼女は自活のために神保町の喫茶店で働くようになる。そこでうちに武田泰淳と出会い同棲・結婚するのだ。『富士日記』には、農民に対する正直で辛辣な記述がよく出てくるが、これで理解できた。彼女は「奪われたもの」の立場で、富士北嶺の農民達を見ていたのである。

戦後の農地解放は、「耕すものの手に農地を」という精神で、不在地主の土地をただ同然の価格で多くの小作人に再配分した。そのことは、それでよかったと思う。しかし、いま平成の世、日本の多くの耕地は耕作されず放棄されている。そのくせ農地法は「外部」の人間(株式会社など)が農地を所有することを禁じ、農民の権利を守っている。外部の人間は農地を借りること(すなわち小作人になること)しかできないのだ。このままでは不在地主が増えるだけである。

平成の世、いまこそ「耕すものにこそ農地を」という終戦直後の農地解放の精神が求められているのではないだろうか。農業を目的とする株式会社の農地購入を認めるべきである。

Posted: Sun - May 29, 2005 at 06:38 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next   Comments  

2005年4月23日土曜日

山中湖:「ママの森」とは、たいへん由緒ある名前だった!

山中湖北岸の長池地区に「ママの森」と呼ばれている場所がある。富士山の眺望が一番いい場所として知られているが、この名前はいかにも「今風」であり、てっきり女性客狙いのネーミングだと思っていたが、大間違いだった。太古の昔からそう呼ばれていたらしい。

別エントリーで紹介した「富士五湖百へぇ〜!」に書いてあったが、「ママ」とはアイヌ語で「崖」を意味するとのこと。でも本の編集者は、同時に戦時中長池に住んだ世界的プレマドンナ三浦環の「マダム・バタフライ」に因むものだとの別説も紹介しており、どっちが正しいのかよくわからなかった。

ところが今日借りてきた『山中湖村の史話と伝説』(山中湖村教育委員会編)に次のような伝説が紹介されていたのだ:

  • 音吉じいさんの大鹿撃ち(坂本諏美男)。四代から五代前の音吉じいさんが、「大まま(ママの森)」で鹿を仕留めるお話し。
  • 兵四郎の金っけつ(坂本諏美男)。長池の「大まま」の手前の水ヶ窪というところ(いまの大池?)でカッパが出た話。

土地の古老が昔から「大まま」という地名を使っていたのである。「ママの森」のママは、パパ・ママのママでも「マダム・バタフライ」でもなかった!

前掲書によると、すでに縄文時代から長池に人が住んでいたとのこと(長池遺跡)。アイヌ語の地名が残っていたとしても不思議ではないのである。



Wikipedia で調べると:

まま - Wikipedia: まま、ママは、傾斜地、崖線、地形の崩れを指す上代日本語以来の日本の古語、現在の方言であり、その地形を持つ日本の地名の読みである[1]。普通名詞には崖の字を当てる[1]。地名・古称あるいは土地の通称・呼称等の固有名詞には真間、間々、儘、墹、真々、万々、ママ等の表記を当てる[2]。関東地方の地名に多い[2]。ママの下部には覆水による湧水が多く存在する。
と言うことらしい。

ちなみに「ママの森」は山中湖を訪れる人はたいてい一度は行ったことがあるはず。山中湖でただ一つ水面から崖が切り立っている場所。上には小さな駐車場と茶店があり、逆さ富士が楽しめる。


切り立った崖でありながらその下の水深は結構浅い。ディンギーなどで行くとセンターボードを擦ることがある。

Posted: Sat - April 23, 2005 at 05:32 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next   Comments (9)  

2005年4月18日月曜日

山中湖の観光開発の歴史


山中湖村と河口湖町はどうしてあんなに雰囲気が違うのか?


日本の観光地といえば、いずれも俗悪な看板が立ち並ぶ商業化された場所というイメージがあるのだが、山中湖村は観光地とはいえ落ち着いた街並みがうまく自然とマッチした例外的な存在。同じような立地条件にある近隣の河口湖町と対照的でもある。なぜか。この本を読んではじめてその理由を知った。
富士北麓観光開発史研究
内藤 嘉昭

学文社 2002-03
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地方の町おこし、また日本の「観光立国」の在り方を考えるのにも、いろいろ参考になることが書かれている。

内容抜粋(メモ):
  1. 富士北麓の「観光」開発は、近世の富士講に始まる。農業に適さない寒冷地ゆえサービス業に活路を求める。川口村と上吉田がその中心地だったが、川口村は「顧客ターゲット」を間違ったために廃れ、大衆を顧客に取り込んだ上吉田が成功。御師という一種の宗教的神主が関東地方の檀家を囲い込んでいた。
  2. 明治時代になると横浜などの外国人が避暑にやってくるようになる。馬車鉄道が敷かれ、精進湖に外人専用ホテルができる。
  3. 大正時代、当時の山梨県知事によって北麓の観光開発計画が立てられる。鉄道・道路の整備、自然保護、諸施設の整備、別荘地の開発の四点からなる計画である。
  4. 具体的な推進母体は民間会社である富士山麓電気鉄道株式会社と富士山麓土地株式会社が推進。株主特権として安価で県有地の購入もしくは貸し付けが保証される。
  5. 顧客ターゲットを「一般大衆」としたい県側と「上流層」に焦点を絞りたいとする鉄道会社側と対立。結局、主に鉄道会社側の意向に沿って開発が進められた。中心的人物は鉄道会社社長の堀内良平。軽井沢を範とする別荘地の開発を念頭に置いていた。
  6. 堀内は当時のオピニオンリーダーであった国民新聞主筆の徳富蘇峰に新聞社経営の援助を行ったり、山中湖の別荘を提供したりし、その見返りに国民新聞で北麓の宣伝を頼んだ。その他各界の著名人を山中湖に引き入れていく。
  7. 当時のエリート教育機関であった大学の施設を山中湖に誘致。学生が卒業して出世すれば、お金を持ってまた帰ってくるとの目算。
  8. このように山中湖には当初から明確な基本計画があり、それに沿って実行する信念の経営者がいた。一方、河口湖の観光開発はどちらかというと自然発生的なもの。また鉄道会社側も河口湖には一般大衆を誘致するような施設を積極的に建設し山中湖とは区別していた。
  9. 山中湖では、一泊で帰る団体観光客ではなく、長期滞在型のリゾート客をターゲットとする政策がとられた。
  10. 戦後一貫して河口湖への観光客は山中湖への観光客を大幅に上回っている(約二倍)。しかし財政は山中湖村の方が圧倒的によい。人口が三分の一にしかすぎない山中湖村の方が河口湖町より税収が多い。
  11. 理由は、ファナックからの法人税もあるが、固定資産税の収入の差が大きい。
  12. 河口湖町は、富士山麓ではめずらしく、農業が可能な地域であり(コメが作れる)、サービス業への転換が遅れた。また農業をやっていてお金もあったので地元資本による開発が中心となった。一方、山中湖村は農業ができない極貧地域であったため、サービス業に活路を見いだすしかなかった。また資本も地元以外の資本が都会的センスで開発を行った。

以上、「意訳」的な抜粋。もちろん山中湖にもいろいろな地域があり、それぞれに事情が異なるが、大筋ではこういうことだろう。顧客層がどんどん裕福になっているなかで今後の日本の「観光立国」を考えるにあたり、参考になると思う。だてに農業が可能であるがために河口湖町がサービス化の波に乗り遅れ、それでもがむしゃらにより多くの観光客を呼び寄せながら、結局山中湖村より貧しくなったというのは、示唆的でもある。

Posted: Mon - April 18, 2005 at 10:17 AM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next  Comments (3)  

2005年3月9日水曜日

『山中湖周辺の民俗』(吉田チヱ子)……ちょっと高いが面白い本だ



山中湖は新宿からのアクセスがよく、適度に施設がよく、なんて言っても富士山が素晴らしく、最近よくお邪魔するのだが不思議なことがある。山中湖の一番のウリは湖と富士山であるのに、両方とも同時に見える場所は非常に限られている。その意味で一番のロケーションは北岸の長池地区なのだが、ここが不思議に開発されていない。何故だ?ということ。この本は60年以上長池地区にお住まいの家庭の主婦が書いた「山中湖民俗学」だが、山中湖の暮らしについていろいろのことがわかってくる。日本の田舎を理解するにも役に立つよ。

以下、印象、抜粋、紹介など順不同に:
  1. 著者は1924年生まれの女性。昭和19年に山中湖(長池)に疎開移住され以来ここで過ごされている。主に長池地区の生活、族制、儀式、正業、衣食住、年中行事、信仰、芸能などについて、極めて具体的な記述。2004年に300部発行。定価5900円。
  2. 特に入会地制度について、詳しい説明がある。長池地区の山林(150ヘクタール)は江戸時代から続く38家族(すべて羽田、天野姓)の共有地となっている。南岸の旭が丘地区(向切詰)は長池、平野、山中三地区の共同入会地。
  3. 山中湖村の人口。平成13年。山中、3509人。平野、1374人。長池、406人。旭が丘、612人。合計5901人。
  4. 富士北面の林野(国有地、県有地、北富士演習場)には、山中湖村3地域が入会権を持つ。
  5. 湖畔周辺の山林化している地域は、昭和30年代までは桑畑だった。兼業が進むにつれ桑畑を廃止して植林した。
  6. 山梨県内の林野面積の半分はもとは御料地だったのが明治44年に下賜された。しかし御料地に編入される前から住民は入会権を持っていた。だから県有林は県有林であっても県民のものではなく入会権を保有する地元住民のものであると。
  7. 長池地区の地権者がいまだに38家族に限定されているのは、伝統的に分家をやらなかったため。

長池地区ではいまだに羽田、天野姓ばかり。山中地区では高村姓ばかりとなる。「富士五湖の原宿」と今風にもてはやされる山中湖だが、一皮むけば、旧態依然のムラ社会なのである。日本の農村とは、どこでもこんなもんかも知れない。

でも、長池地区は開発が遅れているが故に、都会の人達にはアクセスが難しい山中湖で一番静かな地区となっている。まあ、一長一短だというところだろうが。

山中湖周辺の民俗
吉田 チヱ子
岩田書院 2004-04


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Posted: Wed - March 9, 2005 at 04:50 PM   Letter from Yochomachi   山中湖   Previous   Next   Comments